『湯けむり』
12
青ペン、赤ペン、白ペンと呼ばれる赤線に良平が出したパンパン屋には東京から素っ裸同然の女が流れてきた。着ているものでまともなのは下ばきだけという姿。彼女たちが着る着物から腰巻、帯、これらを古着屋から買ってきて着せるのもあきの仕事だった。
「おかみさん、それじゃ旦那の道楽に手を貸すことになりゃしないだかね」
久子はアイロンの手を休めることなくあきに対してそう言った。
「道楽ったって、家ん中持ち込んでくる道楽じゃないから」
あきの言葉は尻すぼみになった。さすがに「いいだよ」とは続けられなかった。もし恵旅館の切り盛りが大変でなかったら、あきは嫉妬の炎で身を焦がしていたかもしれない。さいわい亭主の道楽にかまけていられるほど暇ではなかった。あきの腹はすでに臨月に達していた。
数日後、あきは朝早く起きてかまどで湯を沸かしていた。その物音に目を覚まして久子が起きて行くとあきがタライに湯を張っていた。
「これからワタシャ子どもを産むからね」
あきはこともなげにそういうと自分の部屋に入って行った。
「旦那さんは?」
お産婆さんはとは聞かずに久子はそう言った。
「でかけてるよ」
あきは平然としていた。
久子はどうしていいかわからず一人でおろおろしていた。結婚生活の経験があるといってもわずか一カ月半。当然お産の経験はない。ノンちゃん、ユキちゃんを起こしに行こうと思ったが年上の自分でさえなすすべがないのだから無駄なことと覚った。
そのうち赤ん坊の泣き声がしたかと思うと部屋からあきが出てきて自分で産湯をつかいはじめた。久子は呆気にとられた。お産てこんな簡単なものかとわが目を疑った。
久子はむかし中国の関羽が馬良を相手に碁を打ちながら平然として名医華陀の肘の手術を受けたという三国志の話を思い出した。その手術の凄惨さに名医華陀でさえ額に脂汗を浮かべ、それを見ている侍臣のほうが真っ青になって顔をそむけてしまったというくだりである。久子の目には、あきがその関羽に匹敵する女偉丈夫にみえてきた。
久子は勝手でおでんやおしんこなどつくってあきの膳におすそ分けした。すると決まって翌日のお膳にあきのほうから何かしらお返しのおかずがそっと添えられてあった。
久子はこの家へ来てよかったと思った。
あきが町の婦人会の集まりに出て行くと旅館のおかみが口を揃えてこう言った。
「おたくの女中さんずいぶん居つくだねえ。ウチじゃあまた行っちゃったあ」
「他人だから、月給やってるから、といってそういうことじゃむずかしいよ。かといっておだてりゃいいってもんじゃないし、やっぱり感謝して使わなきゃ駄目だぜ」
「そうかねえ」
あきの言葉を聞いて他の旅館のおかみたちは溜息をついた。感謝するとはいってもなにせ相手のあること、言うは易く行うに難いことをよく知っているからだった。
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