『湯けむり』
3
浅太郎たちが湯から上がって部屋へ戻ると熱いお茶に添えて茶菓子が山盛りになって出ていた。
「なんだいコリャ。ゼニふんだくられるんじゃねえだろうな」
「金のことなんか言うなよ。威勢が悪いじゃねえかよ」
そのうち夕食になって浅太郎たちはまたまた驚いた。煮しめの手料理に刺身がついてどぶろくまで出てきた。
昭和二十三年といえばまだ食糧事情の極めて悪い頃のことである。統制のもと刺身はおろか煮しめでさえ大ごちそうの時代であった。
「コノヤロ。コンチキショ。俺たちのこと見そこなってる。どっかのお大尽と間違えてやがんじゃねえのか」
「オイ。いよいよ狐タヌキだぜ。どぶろくの匂い嗅いでみろい」
浅太郎はどぶろくに鼻を近づけた。かつてない芳香である。少し飲んでみる。
「どうみたってコリャどぶろくだなあ。本物だ」
「そうか。エエ、こうなったらかまわねえ。飲んじゃえ。食っちゃえ。いくら狐だ狸だったって命までは取るめえ」
浅太郎たちにしてみれば狐や狸に化かされることよりも懐具合が心配だったのである。初めてのところで「もちっと安く」というのも体裁が悪いし、いざ勘定というときに「払いが足りない」とあっては男を下げる。そういう心配が先に立つほどのもてなしに合って、かえって腰が落ち着かなくなってしまった。
ひと晩明けてあくる朝、四人は目を覚ましてお互いの顔を見まわした。
「よかったなあ。野っぱらの真ん中じゃなくて」
「コレ見ろい」
藤井の言葉に浅太郎たちは目を向けた。藤井は手にアイロンのかかった開襟シャツを広げて持っていた。他の連中の開襟シャツも同様である。着たきりスズメのうすよごれたシャツがきれいに洗いあげられて糊までかかっていた。
「なかなか気が利いてんな、ここのウチの婆あのヤローなあ」
きれい好きの藤井はひとりで感心した。婆あといってもあきはまだ三十七だ。口の悪いはなしである。
藤井は早速あきを呼びつけた。
「バアさんね、オメエあんまり気が利くからね。こんどの正月にはたんとは連れてこられないけど二十人ぐらい仲間連れてきてやるからな」
勘定の心配などとうに忘れて先のことまで約束してしまった。
「そうですか。頼みますね。ところでご商売はなんですか」
礼を言うとあきはこうたずねた。
「バカヤロ。ご商売なんかあるかい横っトビだ」
「横っトビってなんですか」
「知らないのオバサン?」
からかわれているんだか真面目なんだか、あきはけげんな面持ちだった。が、横っトビが横浜の鳶職と知ってあきははじめて破顔一笑した。浅太郎たちもあきの持ってきた勘定書きを見てほっと胸をなでおろした。
思えば気を揉む長い一昼夜だった。
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