『湯けむり』
2

 四人連れの男が湯河原駅に降り立つと番頭が出迎えに出ていた。
 「小田原の寿庵さんからお越しになりました人たちですか」
 「オウ、そうだい。よくわかるな」
 「寿庵さんから電話を頂戴しましたので」
 「ヘエ。そば屋にしちゃ気の利いた真似するじゃねえか」
 駅からは相模の海が見え午後の陽に輝いて眠たくなるような気だるさを感じさせていた。右へ視線を振ると伊豆の山々が逆光にくすんでいた。そのふもとに湯治場の宿が点々として見えた。その湯治場と駅の間に田畑が横たわっていた。
 「狐か狸が出てきそうなところだな。オイ、番頭さん、おめえ大丈夫かい」
 「大丈夫ですよ」
 「湯へ入ってるつもりがこえためだったなんてことにゃならねえだろうな」
 「ご冗談を。狐が電話を受けるわけありません」
 「そりゃそうだ」
 へらず口を叩いているうちに一行は恵旅館に着いた。見れば仕舞屋に二階を継ぎ足した粗末な造りである。
 「これが旅館かい。いよいよこえため風呂だよ」
 番頭に案内されて四人連れが入って行くと玄関におかみが出迎えた。太り気味の体にがんもどきのような顔が乗っている。
 「オイ、油揚げじゃねえ、ガンモドキが出て来たよ」
 四人連れの中では一番若い三十五、六の男が仲間の袖を引いてプッと吹き出した。
 「女中さんかい」
 「いえ。わたしは恵旅館のおかみです。お見知りおきを願います」
 それが室伏あきだった。
 あきは四人連れを部屋へ案内すると宿帳を差し出した。
 「アウ、タロ公、オメエ筆が立つだろ。代わりにみんなの名前書いとけや」
 五十がらみの年輩の男がいちばん若い男に声をかけた。若い男は藤井某、橋場某、北見某と書いたあとで目時浅太郎と書いた。住所は川崎、横浜まちまちだった。あきは五十がらみの年輩の男を藤井、その藤井にタロ公と呼ばれた男を目時浅太郎と見当をつけた。
 四人に着替えと風呂を勧めるとあきはいったん退がった。
 「きたねえ部屋だなあ。なんてきたねえとこ世話しやがったんだ」
 幹事役の北見がぼやいた。他の三人も呆れたり感心したりしている。
 「まあ、いくらきたねえったってケツまで汚れやしねえだろ。ともあれひとっ風呂浴びようじゃねえか」
 風呂へ行くとその風呂がまたきたなかった。
 「そば屋のヤロー!」
 そう言ったきり四人とも絶句してしまった。が、浴槽はきたないが湯だけは本物だった。
 「まあいいや、一晩だけだ我慢しちゃおう」
 湯の表面を這うように立ちのぼる湯気を見ているうちに、四人はようやくのことで温泉気分を取り戻してきた。

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