『湯けむり』
17

 部屋に飾る花はすべて良平が山から摘んできて活けていた。部屋が四十でも五十でもすべて自分でやらないと気がすまない性分なのである。その野の花がさいきんは絵に変わった。変わったのはよいがときにはカレンダーの絵が飾られたりすることがある。額縁も襖の桟を使った手造りの代物であった。
 「オヤジ、みっともないからやめてくれよ」
 大きくなった息子たちは反対してはずして歩いた。はずした絵を天井裏に隠す。ところが良平は根気よく家探ししてとうとう見つけ出してきてまた部屋という部屋にカレンダーの絵をかけて歩いた。
 それをまたさらに息子たちがはずして歩く。イタチごっこだ。
 こんどはうっちゃれ!
 隠すと良平が探し出すのでとうとう息子たちは業を煮やして捨ててしまった。
 玄関を直したときも悶着が起きた。
 「先に敷いちゃっちゃ駄目だよ。壁だの天井だの内装が終えたあとで敷くんだよ」
 内装工事がまだすまないうちに良平がじゅうたんを敷くと言い出したのである。工事の途中で敷けばせっかくのじゅうたんが汚れてしまう。
 「いいじゃあねえか、汚さなきゃ」
 良平は事もなげに言い放った。
 「そりゃ汚さなきゃいいんだけど、工事する人がやりにくくなっちゃうじゃないか」
 息子ばかりか帳場もこぞって反対した。が、良平は耳をかさない。
 「絶対にやる!」
 とうとうだれもいないときに業者を呼んでじゅうたんを入れさせてしまった。
 良平は一事が万事こうだった。とにかく自分のいうままで他人と妥協することは絶対にしない。そんなこんなで室伏家では父親と息子の言い争いが絶えず行われてきた。あきの目には道理を振りかざす息子の説得がまったく無駄な努力と映る。言うだけ無駄ということはあき自身体験として身に染みているからである。そのたびに、
 「言うじゃねえよ」
 あきは息子の尻をつねって顔をしかめた。
 「よくあんなオヤジと何十年もいたもんだねえ」
 長男の蔵雄はそういってボヤいた。
 何十年と聞いてあきはふっと吐息をついた。といっても夫婦の来し方行く末を想ったわけではない。家族といっても、いまでは実の家族よりもはじめの頃から労苦をともにしてきた久子やノンちゃん、ユキちゃんのほうが身内の家族という気がしていた。ノンちゃんに亭主の世話をし、三人ともに駅の近くへ男でも建てられないような立派な家を持たせることができた。もちろんそれは三人の努力の賜。三人の努力の賜ではあるがあきにはそれがうれしい。娘を立派に育てあげた母親の満足感ともいえようか。
 あきの瞼に久子の家の建前の光景が浮かんだ。
 農家へ嫁に行った久子の上の姉はトラックに餅を山と積んできてバラまいた。沼津の水産加工屋へ嫁に行った下の姉は魚やカニをわんさと運びこんで近所の人を仰天させた。姉たちはみんな幸せな暮らしをしていた。ひとり久子だけが……そんな想いと励ましが久子の胸にもあきの胸にもびんびんひびいてきた。
 そのときあきは勝気な久子が涙を流す姿をはじめて見た。

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