湯河原温泉 おんやど恵トップ > 小説「湯けむり」 > 第六話
藤井や浅太郎があきに約束した通り二十人ほどの仕事師仲間を連れてやってきたのは、恵旅館が井戸掘り真最中の正月のことだった。
このときちょうど広間を仕切って小田原の漁師が芸者を挙げて宴会をやっていた。
こっちは泊まり、むこうは日帰りである。こちらがさあ始めようかというときにむこうは宴たけなわだった。
浅太郎たちの席にあいさつをすませてあきが出て来たところに男衆が駈け込んできた。
「おかみさん、大変だ。すぐ来てくれ」
大変だと聞いてあきは咄嗟に事故だと直観した。
「番頭さん、あと頼んだよ」と叫ぶとあきはもう外へとび出していた。あきは井戸掘りの現場に向かってあとも見ず夢中で走った。
その頃、宴会場ではちょっとしたもめごとが始まりかけていた。広川のカツと呼ばれる横浜の鳶が便所の帰りに隣の部屋へまぎれこんで芸者と踊りはじめたのである。
「あのバカ、どこの馬の骨だい」
「隣の部屋のヤツだろ。あきれ返ったヤツだぜ、まったく」
「ブン撲っちまおうか」
「よせよせ」と年輩の漁師は若い者を制しておいて広川のカツをたしなめた。「オイオイ、ニイサンよ。あんたの部屋は隣だよ。こんなところで油売ってないで自分の部屋に帰んなよ」
「こっちは好きで油売ってんだい。ほっといてくれ」
カエルの面に小便だった。
「ここはじきおひらきなんだからよ。帰ったがいいよ」
「おひらきならちょうどいいや。そんならこの芸者借りて行こう」
そう言って芸者を連れていこうと腕を引っぱったとたん広川のカツはそれまで腹に据えかねて見ていた若い漁師に思いきり頭をブン撲られた。
「なにしやがんだい、このスットコドッコイ」
「スットコドッコイはお前じゃねえか。小田原の漁師をなめんじゃねえぞ」
言い争っているところで広間を仕切っている襖がさっと開いた。横浜の鳶が二十人、ずらりと並んで立っている。
「カツ、おめえこんなとこで何やってやがんだ」
藤井が声をかけてきた。
「宴会が終わりだっていうから芸者を借りて行こうとしたらこん畜生がいきなり俺をブン撲ったんだ」
「あたりめえだ。あいさつもなしに、なめたまねしゃがるからだ」と漁師が吠えた。
「で、おめえ、撲られたまんまか」
「これから撲り返すとこだよ」
「よし、ヤレ。ごあいさつはそれからだ」
広川のカツは漁師をポカリとやった。鳶だの漁師だのと血の気の多い者同士である。取り合わせが悪かった。
「コノヤロー」
「コンチキショ!」
二十人の鳶と六十人の漁師がたちまちのうちに入り乱れた。